第三走者(2001年執筆)

矢吹修平はクラスの中でなかなかの女子の間での人気者であった。

だが彼は別に頭がいいわけでも、サッカーがうまいわけでも、特別にかっこいいわけでもない。

ただ、彼は足が早かった。

 

高校三年生の最後の大会を迎えた彼は、市の陸上大会において百メートルで1位、二百メートルでは2位、リレーでは1位の成績を修めた。

また、県の大会でも百メートルは2位、二百メートルは予選落ちするも、リレーでは彼の通う八代高校を1位の栄誉に導いた。

秋の国体への出場も決まっており、彼の高校生活における陸上人生は順風満帆のようであった。

しかし修平は国体への出場を辞退した。

表向きの理由は、受験であった。

修平は県大会で百メートルに出場したとき、今まで二年間負けつづけてきた江南高校の岸田に三度目の苦汁を味わされた。

そしてリレーではこれまで一度も勝てなかった岸田のいる江南高校に勝つことができた。そして、そのときに修平の陸上人生は幕を閉じたのであった。

 

修平にとって走ることは快感であり、手段であった。

選手が同じ条件で同時にスタートし、同じ目的に向かって全力を尽くす。

その中で誰よりも早く、そして、他のものに自分の背中を見せつける快感。

体中の全ての筋肉を緊張させ、脳の意識をゴールするということだけに集中させるときに生じる精神の高揚と覚醒。

ゴールを勝ち取った後におとずれる解放感と、会場の熱気と狂気の渦に巻き込まれながらもそれの中心に飛んでいける理性の発散。

修平にとってこの快感は、走ることのみが彼に与えてくれる、神が彼に許した産物であった。

そのために修平は高校生活の二年と半年を走ることによってうまれる快感で生きてきたのだ。

 

だが、いつの頃からか修平はその快感の先にあるものを感じていた。

快感の先にあるもの、それは漠然とした不安、つまり自分の限界、という誰も見たことはないのに誰もが恐怖する己の想像力の生み出した化物。

そしてこの化物を修平に気づかせてくれたのはライバルの岸田であり、それがちょうど先日の県大会の男子百メートル決勝でのことであった。

 

それ以来、修平は陸上部にも、その顧問の谷崎のところにも顔を出さずに、もくもくと勉強に励んだ。

生まれて初めて参考書を自分の小遣いで買い、三年ぶりに塾にも通いだした。

放課後は学校の図書室で閉館ぎりぎりまで鉛筆を離さなかった。

彼の視線は彼の集中力もそっくりとひっさげて勉強に向かったのであった。

彼の勉強に臨む姿勢は周りをあっと言わせるものであり、誰もが彼の頭の中は受験しかない、と思っていた。

実際、彼の成績は顕著に上昇の傾向をみせた。校外模試でも以前の偏差値が47であったのに対し、今では55にまで上がっていた。

一学期の三者面談で、スポーツ推薦で大学に行くのが妥当であり、もしそれを拒むとしても、県内の中級以下の私立大学にしか行けないと言われていた男は、九月の二者面談で先生に、中堅私立は狙えるだろうと言わしめるまでになった。

「ところで矢吹、お前はどこを目指してそんなに勉強しとるんだ」という先生の問いに、「いや、別に」と答えた修平だったが彼の中で志望校は限られていた。

中堅校に入ったって何の意味もない、俺はやるからには一番でなければおもしろくない、だったらさすがに国立は無理だとしても私立の一番上までは駆け上ってみせる、それが修平の考えであった。

もちろん親にはこのことは伝えた。

自らは何のこれといった取り柄もなく、人の良さと責任感の強さで自営業の弁当屋を営んでいる父信勝は、息子の熱意に全てを任せる、と言い。信勝の仕事を支える母の雅江も息子の陸上の才能を惜しみながらも、やれるところまでやってみなさい、と言った。

ただ信勝は自分の部屋に戻ろうとする修平の背中を見ながら思い出したように彼を呼び止めた。

「修平、お前も知っての通りうちは自営業だから金がない。お前のやりたいようにやらせてやるのが親の喜びでもあるが、いかんせん妹の美子も大学進学を希望している。できれば国立に行って欲しいんだが・・・」

修平はその問いの答えを予め持っていたため、修平は両親に熱っぽく自分の意思を興奮と緊張を保って答えた。

「俺は人には限界があると思うんだよね、俺は百メートルには向いていたかもしれんけど、二百には向いてなかったと思うんだ」

信勝は修平に、悔いの残らないようにだけ頑張れと伝えてタバコに火をつけた。信勝にとって今の仕事は三つ目の仕事であった。

 

修平は勉強をした。

その姿はクラスメートからみても様になるようになってきた。
そして、みんなも彼を見習ってだんだんと受験への意識を高めていくようになった。

また修平はよく先生に質問をした。
この姿勢は部活時代もそうであったように、自分の未知な部分は明らかにしないと気がすまない性格がなすものであった。

人気者であった修平は嫌味に映ることもなく、彼が走っていた頃と同様にみんなは彼を応援した。

いつの間にか修平は足の速い修平から、受験勉強を頑張る修平に変わっていった。

修平は走ることを忘れてしまったようでもあり、走ることに飽きてしまったようでもあった。

ただ、勉強に疲れ、息抜きをするときには、窓から運動場で走る後輩の姿を単語帳片手に眺めている姿を親友の池田マサシがよく目撃していた。

 

彼が走らなくなって三ヶ月が過ぎようとしていた。

 

9月の末に行われたクラスのホームルーム、いつもは受験生を気遣った先生の提案で自習するのがならいであったが、この日は二週間後にひかえた体育祭の選手決めであった。

八代高校では一人が必ず一種目に出場することになっており、その種目は百メートル走、走り高跳び、綱引き、騎馬戦、八百メートルリレーなど多岐にわたった。

そして、それぞれの種目の順位によってクラスに得点が与えられ、その総合点の高いクラスが優勝となる。

修平は毎年確実に点が稼げるということで百メートル走に出場していたが、今年は綱引きに出ようと考えていた。
みんなの期待を裏切るのは心苦しいが、綱引きなら適当にやっておけば問題はないし、走らなくてすむ。

 

修平は陸上部を引退して以来走ることを頑なに拒んできた。

もちろんそれは自分自身に対してであり、体育の授業などでは彼はしっかりとまじめに動いていた。

しかし、それは動いていただけであり、決して快感を求めた走りではなかった。

そして、彼はそれによってより一層この快感は他のスポーツでは味わえないものだと思った。

サッカーやラグビーではいつも前から人がやってくるし、バスケやハンドボールではいつもボールを意識しなければいけない。

つまり邪魔が入るのだ。

そんな修平にただ一度だけ快感とまではいかなくとも前立腺を刺激されるような出来事が起こった。

体育のサッカーの時間、自陣が攻められているときハーフライン近くでそれを眺めていたら、敵のセンタリングからのシュートを味方のキーパーがセービングし、そのあまりのナイスプレーに興奮したキーパーがボールを掴んだと同時に前線に大きく投げ飛ばしたのだった。
野球部でキャッチャーをやっていたそいつの投げたボールは大きな放物線を描きながら修平と相手ゴールの真中あたりに影をうつしだした。
修平の隣には敵のディフェンスが二人いて、修平と同じようにボールの描く残像をおっており、敵のキーパーはゴールの柱にもたれかかっていて、やっと自分が敵に見られていることに気づいていた。

修平の体はちゃんと相手のゴールに向いていた。
だが、サッカー歴のない修平にはどうすればいいのか咄嗟のことで判断できなかった
その時同じチームだったサッカー部のマサシが叫んだ、

修平、走れ!!!!!

修平はボールがグラウンドに着地する瞬間をスタートの合図として、そこに向かって走った。ボールは転々としながら相手のゴールに近づいていく。向こうのキーパーもやっと自分の仕事を思い出してボールに向かって走り出した。ボールまであと三十メートル。修平は意識をボールだけに集中した。足を上げる。腕を振る。後は体が自然と風に乗りだした。修平は自分の背中に二十人の視線を感じた。修平は走った。誰よりもきれいに、誰よりも集中して。誰よりも速く。

修平は結局誰よりも早くボールを足で触ったのだが、それはトラップミスとなり修平の足にあたったボールは相手キーパーに大きくタッチラインの外にけり出されてしまった。

いやー、相変わらずおまえは足が速いな、危機を自らの足によって救い、気をよくしているキーパーは息をきらせながら修平にねぎらいの言葉をかけた。

ナイスキーパー、修平はそうこたえてスタート地点へと戻っていった。

修平は顔を伏せ、足取りはまるで一歩一歩を確かめているようで重かった。

決定的なチャンスを逃してしまったことを悔やんでいるんだろう、と察したチームメートは、どんまい、どんまい、追いついただけでもすごいよ、勝ってるんだから気にするなよ、向こうのキーパーもうまかったよ、などと口々に修平を励ました。

マサシも、やっぱりおまえなら追いつくと思ったよ、おしかったな、と友を称えた。

しかし修平は点を取れなかったのが悔しいわけでも、友の期待を裏切ったのが心苦しいわけでもなかった。

修平は久し振りの快感に戸惑い、またその快感の物足りなさが彼を苦しめていた。

この一週間後に体育祭のメンバー決めが行われたのであった。

 

クラスの室長が百メートル走から順番に各種目の立候補者を募っていった。

修平は予定通り百メートル走には手を挙げなかった。その時修平はクラスのみんなに立候補を促されるのではないであろうかと心配していたが、それは杞憂に終り、室長と眼が少しの間合っただけであった。

結局、百メートル走にはクラスでもそこそこ足の速い奴が立候補して、決定した。

修平が黒板にそいつの名前が書き込まれるのを見届けて、手元の単語帳に眼を移そうした時、ちょうど修平の二つ前の席に座っていたマサシと眼が合った。

「修平、俺とシンヤとコースケとで八百メートルリレーに出ようって話していて、お前を誘おうって話しになったんだ。お前が例年通り百メートルにでるんだったら諦めるって話しだったんだけど、そうじゃないみたいだからさ、俺らとリレー出ようぜ、お前がいればきっといいところまでいけるだろうしさ、頼むよ」

修平はまさかマサシにそんなことを頼まれるとは夢にも思っていなかった。

「ちょっと考えさせてくれよ」

親友の頼みを無碍にもできず、ひとまずそう答えた。

「じゃあ何に出るつもりなんだ?」

マサシはまだ修平の眼を覗き込んでいる。

「いや、別に・・・」

修平は単語帳の上に眼を向けた。マサシの眼は修平を少し懐かしい気持ちにさせた。

conclusion、conclusion、conclusion・・・・。

修平の眼はずっと同じ単語にしか向かっていなかった。走ってみたい、そんな気持ちが修平の中には眠っていた。

いや、眠っているというより、机に向かっている時でも友達としゃべっている時でも常にそれは疼いていた、といったほうが正確だろう。

修平はその疼きを否定することで現在の生活リズムを作り上げていた。
それを開放したら・・・・、修平は自らの葛藤に苦しんだ。

そんな修平の肩が後ろからたたかれた。シンヤだ。

「修平、頼むよ。俺さ、毎年出てるんだけど一度も勝ったことがないんだよ。最後ぐらいさ、いい思いさせてくれよ」

「やっぱさー、リレーっておいしいんだよね。体育祭のシメだしさ、観客席の前を走るわけじゃん、カッコいいところ見せようぜ」

「お前がでないとさ、他の奴探さないといけないからさー、な、頼むよ」

シンヤの隣にコースケが来た。

「修ちゃん、俺も出るしさー。確かに陸上部だからってプライドもあるだろうし、俺らが足を引っぱるってのも分かるよ、でも高校生活最後の行事なんだからさ、四人で頑張ろうよ」

「あとさ、七組はさ、陸上部が三人出る、って話だぜ。三人ってあれだろ、県大会で修ちゃんと走った」

「恵ちゃん県大会には来れなかったんだろ、久し振りにカッコいいところ見せろよ」

マサシもやって来た。

「たまには息抜きも必要さ、そんな勉強ばっかりしてたら覚えられる単語も忘れちまうよ」

「な、いいだろ」

conclusion、conclusion、conclusion・・・・結論、決定、断定。修平は三人の顔を見て頷いた。

室長はちょうど八百メートルリレーの選手を決めようとしていた。

「おい、室長。俺とシンヤとコースケと修平が出るから、よろしく」

マサシのその言葉にクラスが修平を見た、修平にはみんなが自分を見たように感じた。

修平の疼きは今、形を持とうとしていた。

舞台、目標、動機、応援、そしてそれを支える仲間が今、準備された。
後は主役が揃えば芸術は作品となる。

修平の恐れ、それは疼きが齎す生活の乱れと堕落、イメージのズレが生み出す混乱。

修平の期待、それは疼きが変貌するであろう快感であった。

material、材料・資料。legend、伝説。blast、突風、・・・・。

 

修平がなぜ走ることにしたのか。

それは彼の心の深遠な部分にまで入り込む必要性を感じる。

しかし、一言で言ってしまうならば、彼の若さによるものではないか。

彼にとって走ることによって得られる快感とは、自慰行為によって得られる快感と酷似していると考えられる。
独善性、排他性、利便性、至上性、それら全てが両者に共通することではないであろうか。

実際、修平が彼女である恵との性交に求める快感のイメージは、比較はできないとしても、走ったり、自慰をすることによって得られる快感より劣ったものであった。
他者性の欠如は大きなナルシズムを喚起し、その結晶を快感にまで昇華させる。

では、なぜ修平がリレーに出ようとしたのか。

リレーとは他者の存在する種目である。
四人がバトンをつなぎながらゴールを目指す。
一人でも、一回のバトンパスでさえもミスをしたらその瞬間スポットライトから外れてしまう。
それはスタートも同様だ。

しかし、一度脱落したかに見えてもスポットライトに返り咲くことも、奪い去ることもできる競技。

修平は十八だ。子供から大人への転換期。

修平が走ることにした理由が彼の若さによるものならば、彼がリレーに出ようとした理由、それは彼の大人の部分、老成された部分と言えるのではないだろうか。

修平の陸上部顧問の谷崎は今年の県大会の前に、リレーメンバー四人にこんな話をした。

お前らはそれぞれ足も速い。走力、基礎能力、体力、状況判断能力などどれをとってもいまさら言うことはない。ただ、次の大会に向けて一つだけ言っておきたいことがある。それは俺のリレー観だ。これが次の大会に生きるか分からんが、まあなんかの足しになるといいだろう。俺はリレーって奴は人間の一生の縮図のような気がするんだ。スタートラインは一緒、同時に走り始める。しかしお前らも知ってる通り、走っているときに何があるか分からない。その日の体調、グラウンドレベルでの温度や湿度、シューズの僅かなズレ、もちろんバトンパスも大きなタイムの差をうみだす。

「でも先生、人生は四人でつながないっすよ」

そうだな、人生は確かに一人で生きなければならない。だけど人間の一生は決して一人じゃ生きていないし、いつも人からバトンを渡され、そして渡しているんじゃないか。夢とか、希望とか、家とかそんなのは今流行らないのかもしれないけどな、人はオギャーって言った時からもう走り始めているんだよ。親父とお袋が種を着けたときからバトンは渡されているんだよ。金持ちに生まれる奴、もともと素質のある奴、スタートは確かに違う。だけど抜けばいい、自分のバトンを誰よりも速く、正確に、美しく運べばいいんだ。誰が最後に勝つかなんて分からない、自分が走り終わっても分からないんだ。最後の最後までバトンがわたり、ゴールをした時、初めて勝者ができるんだよ。でも俺らはとにかくバトンを渡す。別に次の世代なんかに渡す必要はないんだ。自分のバトンだ。自分で渡したい奴に渡せばいいし、渡さなくてもいい、ただ、渡すときには自分の、これまで走ってきた自分の全てを渡すべきなんじゃないか。責任と誇りを持って。

真っ赤になった谷崎の目が修平は好きだった。

ちょうどグラウンドの座っていた修平の顔を夕日が赤く染めていた。
修平は自分の中にも赤い血が脈々と流れていることを初めて知った気がした。

修平はアンカーを務めなければならないことが少し悔しくなった。自分はみんなの誇りを体現しなければならない。バトンを誰に渡すこともなく。

そして、修平たちは勝った。誰よりも速く、バトンをゴールに運んだのだ。修平は三人を抜いていた。

谷崎は興奮冷めやらぬ四人に言った。四人は誰よりも速く、そして美しかった、お前らが勝者だ、と。

その時、まさにその時に修平は新しい快感の波を感じた。

もちろん相手を抜いていくときなどは著しい快感の海につかっていたのだが、こうして谷崎の目から涙が零れ落ちるのを見て、それに負けるとも劣らない快感を修平は得たのであった。

 

体育祭まであと一週間となった。

修平の勉強は予想に反してはかどっていた。

彼の疼きは修平に暫くの妄想と空想を与えたが、マサシの言った通りそれは息抜きとして、一層修平の集中力を高めた。先日帰ってきた模試では終に偏差値が五十七までになっていた。修平の目標まであと五である。

修平たち四人はリレーの順番を決めることにした。足の速さで言えば、修平、コースケ、マサシ、シンヤの順であり、三人は修平にアンカーを務めることを求めた。

修平はアンカーが嫌だった。修平は提案することにした。
勝つために、そして自らの快感を得るために。みんなはそれに納得した。

第一走者、マサシ。第二走者、シンヤ。第三走者、修平。第四走者、コースケ。

修平は第三走者になった。

 

体育祭当日。

八百メートルリレーは最後の種目であるため、それまではクラスの友達の出場する種目の応援へと駆り出されていた。

修平はそんな中でもいつもの通り、自分の走りのイメージを作り上げることを忘れなかった。

一人二百メートル。走るコースはグランドのトラック一周。修平たちと同時に走るのは五チーム。全九チームでタイムで争われる。だがマサシの情報では、修平たちと共に走るチームが事実上の優勝候補であり、その勝者が優勝となり、一番速いであろうといわれる陸上部二人を擁する七組も同組であった。

校内アナウンスで八百メートルリレー出場者の招集がかかった。修平は他の三人と別行動をとっていたので一人で集合場所へ向かった。

すると偶然、体育祭実行委員をやっている彼女の恵と会った。

「次、出番だよね」

「ああ」

「県大会で見せたみたいな走りをしてよ」

「ああ」

「たくさん抜いてよ」

「・・・・」

「応援してるから、でも今、修平の十組と私の七組が優勝争いをしているからあんまり勝って欲しくないな、なんてね」

「ああ」

修平、頑張って、走れ!!!!!

恵の笑顔に送り出されて修平は仲間のもとへ行った。

三人とも笑顔の中に軽い緊張が見て取れた。

「みんな、緊張するなよ。俺が抜いてやるさ。リラックスしようぜ」

三人はお互いを小突きあい、修平に笑いかけた。

「恵ちゃんから応援のキスでもされてきたのか、ちゃんと見てたんだぜ」

「なわけないだろ」

「あつくていいねー」

修平が照れながらも周りを見渡すと七組の村田がいた。

「お前ら本気で走るんじゃないだろうな」

修平は村田に呼びかけた。

「お前こそマジで走ったら怒るぞ。卑怯だよ」

七組のもう一人の陸上部、桂谷が割って入ってきた。

「ところでやっぱりお前はアンカーなんだろ。俺と勝負か?」

「いや、今回は三番目だ。お前と勝負できなくて残念だよ」

桂谷は陸上部で修平と一位二位を争った仲で、自分のチームのアンカーのコースケではかなわないくらい足が速かった。

「じゃあ、村田は何番目だよ?」

「残念だけど俺は最初だよ。俺が突き放して、追いつかれてきたところで桂谷が抜くって作戦さ」

「貴史は出ないんだよな、あいつまで出るんだったらこっちに勝ち目はねーよ」

修平は正直陸上部の三人が出てくることを恐れていた。どんなイメージをしても三人が出たのならば勝ち目がない。だが、二人ならなんとかなるかもしれない。噂だと他の二人はうちで一番遅いシンヤよりも遅いらしい。

修平は適当に抜け出し、チームメートのところに戻った。

「どうだった」

三人が不安そうに修平の顔を覗き込んだ。

「大丈夫、俺らが勝つよ」

三人の顔が明るくなる。

ついにリレーの開始時間になった。

マサシがスタートラインに立つ。残りの三人はトラックの内側で待つ。

修平はマサシに言った。

「村田に勝とうとするな、だからできれば二位で帰ってきてくれ」

マサシは大きく頷いた。修平は伸也と孝介に言った。

「シンヤ、俺を信じてバトンを持ってきてくれ。コースケ、俺はお前にバトンを渡すから」

そう言い終わり、マサシの方を向くとちょうどスターターが手を大きく上げていた。

ピストルが鳴った、マサシは土をけった、五人が同時にスタートした。

修平の予想通り七組の村田がすぐに先頭にたつ、マサシもそれをがむしゃらに追っていく、第一コーナーを廻り始めると村田が一位、マサシは五組と二位争いをしている、その後に二人が続く、百メートルに差し掛かり始めた、村田とマサシは十メートルは離されている、マサシに疲れがみえる、五組とはほぼ同列で争っている、村田が最終コーナーに入り、七組の第二走者がバトンを待つ、マサシの顔が見える、シンヤが待つ、五組の奴も見える、村田が来る、渡す、「マサシ、頑張れ!」シンヤが叫ぶ、マサシが走る、バトンを差し出す、シンヤが三位で受け取る、先頭との差は十五メートル、七組から大きな声援があがる、シンヤが追う、先頭に十メートル遅れて五組が走る、二組の奴がシンヤを追う、速い、先頭は百メートルを過ぎようとしている、七組、五組、伸也と二組が並ぶ、さらに後ろから三組が追う、先頭の四人が十メートルの間でひしめく、走る、走る、追う、鼓動が打つ、先頭が直線に入る、続いて三人が見える、シンヤを見つける、鼓動がうつ、疼く、「シンヤ、あと少しだ!」「修平頼むぞ!」コースケが修平の背中を押す、疼く、トラックに立つ、鼓動、震え、鼓動、七組が出た、二組が来た、シンヤが来る、五組がいる、バトンを受け取る、前を向く、バトンを握る、横に一人、前に二つの背中がある、いける、十メートル、差をつけてやる、絶対に勝つ!走る!シンヤが叫んだ、

修平、走れ!!!!!



エピローグ

修平は目標の偏差値には到達するも、五つ受けた大学はすべり止め一つしか受からず、今は両親に頼み込んで浪人をしている。

リレーは人生かもしれない、走って、走って、求めて、走る。

人生もまたリレーなのだ。

そして修平は今自分の作った回り道でまた走っている。
追いつくために、追い抜くために。



 

 

後書

 

ぷふぁー、タバコが美味い。タバコ最高。
僕はこの小説に五番目に大切なもの、タバコを賭けた。年内に納得のいく作品ができなかったら禁煙するつもりであった。
この作品が納得いくものかはまたみんなの評価を聞きながら考える。
自分ではなかなかいい走りをしたつもりだし、前作のバトンを自作に渡したつもりではいる。

東京は怖い。何も奪わない。何もくれない。何でもある。何もいらない。そんな町だ。
そんな町で初めて書いた小説。
これにいったい何が込められたのだろう。

この作品の最初の題は「第三走者」であった(注:結局題名は変えなかった)。
僕がこの作品を書き始めたのはほんのくだらないことで、自分がリレーが好きだということ、いつも三番目に走るのが好きだった、ということ。

僕は修平のように足が速くない。だけど、走るのが好きだし、リレーも好きだ。
負けるのが嫌いで、勝たないと気がすまない。
「どうしていつもそんなに全力疾走なの?疲れないの?」と言われたことがある。
そのときは正直、意味が分からなかった。
でも今、この町で走っていて何かに気づいた感はある。
それは、修平が走る訳と一緒かもしれないし、ちがうかもしれない。
誰でも不安はある。だけど、その不安が吹き飛ぶ瞬間を追いつづけていたい。
誰でも快感を求める。だけど、いつでもまだ見ぬ快感をイメージしていたい。

主役はいつでも自分。仲間はいつでも心の中に。

 

修平のクラスは勝ったでしょうか? 負けたでしょうか? 修平はイメージ通り走れたのでしょうか?
僕にもそれはわかりません。是非感想を聞かせてください。

この作品ではタバコを続ける価値がないというあなた、僕は年度内にもう一本書きます。約束です。バトンはしっかりと握ったぜ。

 

                  平成十三年十二月二十八日 東京の自宅にて